2008年 02月 19日
14、感じたこと 学んだこと |
今回の店作りでは いろいろな事を知り、感じ、そして学ぶ事が出来ました。
それは一生のたからものと思っています。
古くからある日本の技術や知恵には 本当に感心する事ばかり。
木と石と土
すべて身の回りにある素材で 身の回りの人達とで仲間意識を持ち、
職人さんはプロ意識を持って きちんと仕事をし
日本の風土にあった家を建てていた時代。
「木」のはなし。。。
この長屋は 飛鳥小学校の前身となる元興寺の学校の建物に使われていた材を
再利用して建てられたそうで、長屋の北側の瓦に「学」の文字が入っています。
天井を抜いた事で顔を出した柱や梁には
組立てには関係のないホゾ穴が沢山あります。
その昔もリサイクルは当然の事であった..という事が良くわかります。
天井等 解体をしましたが 今回 うちの現場にはほとんど廃材が出ませんでした。
ゴミとなったのは表面に貼ってあった新材のベニアのみ。
天井板や棹ぶちなどは洗って再利用
天井から落ちた土、古い土壁は庭で土に戻しました。
利用しなかった木材は 近所の方がお風呂を炊くのに引きとって下さいました。
つまりすべて土に帰る素材でした。
現代の建物が ある日朽ちて解体されたりした時
その廃材はいったいどこへ行くのでしょうか
処理の為に燃やされたり、もしくは火災が起きてしまった時、
その空気はどこへ行くのでしょうか
考えただけでも恐ろしい事です。
解体する家からもらったりしてきた古材は 味があり、そして良質です。
とても贅沢な木の使い方をしています。
建具など特に 職人さんの腕の見せどころ、毎日使うものだから
きちんと木を選んで精密に作ってあります。
安い新材は日々変形していきました。反ったり空いたり..
古材は うちに来た時から どっかりと腰をおろし品格さえ感じられました。
「石」のはなし
一見、硬く冷たいように見える石ですが
顕微鏡でのぞいてみれば 穴ぼこだらけ
自然の力、もしくは昔の人の手で砕かれた石からは 呼吸すら感じます。
水も木も火も すべて大切であり、ものすごい力を持つ
しかし それらの距離感のバランスが崩れると大変な事になる
石はいつもその中間に立ち、しっかりバランスを守り
人々の暮しを守る
そんな役目であるような気がします。
それは木の柱の下に束石を置いた...という事で気がついた事です。
そして 最後に「土」...
わたしの主人は有機農業をいとなむ お百姓さんです。
畑で毎日土をさわり 家でも店作りで土をこね..泥んこまみれの日々の中
「土」は 彼の一生のテーマになりました。
「土」はたべものや繊維を育て 器となり 家となり
縦横無尽、どんな形にもなる
すべての生物は土に生かされているのだなあ...と
その「ちから」をひしと感じ、あらためて感動。
土に近いものを作る 食べる そして暮らす
そのあたりまえの事を大切にしていきたいものです。
ちなみに私の名前についている 「圭」という文字
子供の頃は 縦と横の棒ばかりの単調さが 好きではありませんでした。
今は この名前をつけてくれた両親に感謝しています。
さて先日もお話しましたが、
お世話になったF先生、司令塔Tさんは、京都のNPO法人「古材文化の会」
(旧古材バンクの会)の会員です。
私は会員ではないのですが、このお二人のおかげでいろいろ教えて頂いたり
素晴らしい職人さんと関わらせて頂き 貴重な経験をさせて頂きました。
又、壁塗りに参加して頂いたNさんも この会に携わっている方でした。
古材文化の会のホームページは→こちら
地球の限りある資源を大事にし、木を生かす知恵と技術を次の世代につたえる…
この時代にその思いと夢を実現させるためのネットワークです。
今日も近所で解体している古い民家が2件ほどありました。
ユンボでバリバリ...と壊される古民家
すばらしい梁や味のある柱、建具、すべての素材とすばらしい職人達の技術が
一瞬のうちにゴミとなってしまいます。
数日後には、さら地になり あっという間にプラモデルのような建物が建ったり
駐車場になったり…
解体現場で作業されてる方に無理をいい 古材の板や建具など頂いてきましたが。
有難い、嬉しいという気持ちと同時進行で いつもやるせない苦しい気持ちになります。
古い家(つまり昔の文化と技術)を維持し継承するという事は
個人レベルでは大変な事であることはわかっているのですが
この状況、何とかならないのだろうか...と 夫婦でぼやきます
農薬、化学肥料を使って大量生産される味の均一化した野菜
農家さんの高齢化、農地が減り、食料危機が心配される世の中
私はその状況と同じイメージをうけます
大切なものをどんどん失っていく日本
そんな悲観的な気持ちにさえなってしまうのです。
しばらく解体現場には近づきたくない、見たくない...
今日の正直な私の心境です。
願わくは
古材文化の会さんのような団体がもっと増えますよう、
「もったいない」精神が、一人一人あたりまえになる世の中になりますよう...
そんな思いをこめて
今回のお話をさせていただきました。
昨年のダンナ田んぼの秋の稲刈り
生まれて始めての経験です
稲穂を天日で乾かす「ハサカケ」
脱穀した後の藁が 壁の材料になるのです。
すべて身のまわりにあるもので家を作った 昔の人の知恵
続きの15話はこちらです
それは一生のたからものと思っています。
古くからある日本の技術や知恵には 本当に感心する事ばかり。
木と石と土
すべて身の回りにある素材で 身の回りの人達とで仲間意識を持ち、
職人さんはプロ意識を持って きちんと仕事をし
日本の風土にあった家を建てていた時代。
「木」のはなし。。。
この長屋は 飛鳥小学校の前身となる元興寺の学校の建物に使われていた材を
再利用して建てられたそうで、長屋の北側の瓦に「学」の文字が入っています。
天井を抜いた事で顔を出した柱や梁には
組立てには関係のないホゾ穴が沢山あります。
その昔もリサイクルは当然の事であった..という事が良くわかります。
天井等 解体をしましたが 今回 うちの現場にはほとんど廃材が出ませんでした。
ゴミとなったのは表面に貼ってあった新材のベニアのみ。
天井板や棹ぶちなどは洗って再利用
天井から落ちた土、古い土壁は庭で土に戻しました。
利用しなかった木材は 近所の方がお風呂を炊くのに引きとって下さいました。
つまりすべて土に帰る素材でした。
現代の建物が ある日朽ちて解体されたりした時
その廃材はいったいどこへ行くのでしょうか
処理の為に燃やされたり、もしくは火災が起きてしまった時、
その空気はどこへ行くのでしょうか
考えただけでも恐ろしい事です。
解体する家からもらったりしてきた古材は 味があり、そして良質です。
とても贅沢な木の使い方をしています。
建具など特に 職人さんの腕の見せどころ、毎日使うものだから
きちんと木を選んで精密に作ってあります。
安い新材は日々変形していきました。反ったり空いたり..
古材は うちに来た時から どっかりと腰をおろし品格さえ感じられました。
「石」のはなし
一見、硬く冷たいように見える石ですが
顕微鏡でのぞいてみれば 穴ぼこだらけ
自然の力、もしくは昔の人の手で砕かれた石からは 呼吸すら感じます。
水も木も火も すべて大切であり、ものすごい力を持つ
しかし それらの距離感のバランスが崩れると大変な事になる
石はいつもその中間に立ち、しっかりバランスを守り
人々の暮しを守る
そんな役目であるような気がします。
それは木の柱の下に束石を置いた...という事で気がついた事です。
そして 最後に「土」...
わたしの主人は有機農業をいとなむ お百姓さんです。
畑で毎日土をさわり 家でも店作りで土をこね..泥んこまみれの日々の中
「土」は 彼の一生のテーマになりました。
「土」はたべものや繊維を育て 器となり 家となり
縦横無尽、どんな形にもなる
すべての生物は土に生かされているのだなあ...と
その「ちから」をひしと感じ、あらためて感動。
土に近いものを作る 食べる そして暮らす
そのあたりまえの事を大切にしていきたいものです。
ちなみに私の名前についている 「圭」という文字
子供の頃は 縦と横の棒ばかりの単調さが 好きではありませんでした。
今は この名前をつけてくれた両親に感謝しています。
さて先日もお話しましたが、
お世話になったF先生、司令塔Tさんは、京都のNPO法人「古材文化の会」
(旧古材バンクの会)の会員です。
私は会員ではないのですが、このお二人のおかげでいろいろ教えて頂いたり
素晴らしい職人さんと関わらせて頂き 貴重な経験をさせて頂きました。
又、壁塗りに参加して頂いたNさんも この会に携わっている方でした。
古材文化の会のホームページは→こちら
地球の限りある資源を大事にし、木を生かす知恵と技術を次の世代につたえる…
この時代にその思いと夢を実現させるためのネットワークです。
今日も近所で解体している古い民家が2件ほどありました。
ユンボでバリバリ...と壊される古民家
すばらしい梁や味のある柱、建具、すべての素材とすばらしい職人達の技術が
一瞬のうちにゴミとなってしまいます。
数日後には、さら地になり あっという間にプラモデルのような建物が建ったり
駐車場になったり…
解体現場で作業されてる方に無理をいい 古材の板や建具など頂いてきましたが。
有難い、嬉しいという気持ちと同時進行で いつもやるせない苦しい気持ちになります。
古い家(つまり昔の文化と技術)を維持し継承するという事は
個人レベルでは大変な事であることはわかっているのですが
この状況、何とかならないのだろうか...と 夫婦でぼやきます
農薬、化学肥料を使って大量生産される味の均一化した野菜
農家さんの高齢化、農地が減り、食料危機が心配される世の中
私はその状況と同じイメージをうけます
大切なものをどんどん失っていく日本
そんな悲観的な気持ちにさえなってしまうのです。
しばらく解体現場には近づきたくない、見たくない...
今日の正直な私の心境です。
願わくは
古材文化の会さんのような団体がもっと増えますよう、
「もったいない」精神が、一人一人あたりまえになる世の中になりますよう...
そんな思いをこめて
今回のお話をさせていただきました。
昨年のダンナ田んぼの秋の稲刈り
生まれて始めての経験です
稲穂を天日で乾かす「ハサカケ」
脱穀した後の藁が 壁の材料になるのです。
すべて身のまわりにあるもので家を作った 昔の人の知恵
続きの15話はこちらです
by mangetsuan
| 2008-02-19 21:03
| 14、感じた事 学んだ事